混み合った電車の中で座席に座るのが、僕は好きだ。なんていうのだろう。手軽に味わえる優越感がそこにはある気がして。けれど中々、満員電車内の座席に腰掛けるチャンスなどめぐってはこない。そもそも電車に乗る事事態が珍しい事なのだ。
けれど僕は座っていた。上下左右に小気味良く揺れる車内。誰も喋ってなどいないけれど、だけどどういう訳かざわついているような錯覚に襲われた。実際は誰かがヒソヒソと喋っていたのかもしれない。今となっては確かめる術はないが。
「次は〇〇~……〇〇でございます」
アナウンスが流れて、僕は向かいの窓を眺める。窓の外を知らない景色が流れていった。
もうどれくらい電車に揺られているのだろう。あまり覚えていない。
「…………」
何だかおかしな気分になってきた。おかしな……というよりも、不安な気分といったほうが適格だろうか。長い時間電車に乗っていると、時々こういう事がある。本当に僕は目的地に着けるのかという不安。もしかしたらこの電車は僕が行きたい場所とは間逆の方向へ向かっているのではないかという不安。
僕はあまり電車に乗らない。乗らないで良い生活を送っている。だからなのかは分からない。僕はとても不安だった。
電車が速度を下げていくのが分かった。あと少しで次の駅に着くのだろう。
電車が止まった。名残惜しげに席を立つと、僕はホームへ降り立つ。全く知らない場所だった。渦巻く不安は拭えなかった。
「……あれ」
僕はふと、自分がかばんを持っていない事に気が付いた。振り返り、車内を見る。黒のトートバッグを必死に探すけれど、人が邪魔で見つからない。するとホームに電車の出発を告げるベルが鳴り響いた。不安を抱えたまま僕は再び同じ電車に乗り込んだ。
自分が座っていた席には、既に人が腰掛けていた。
「あのすいません。この辺に黒のバック置いてませんでした?」
振り返った顔は、僕の見知った顔だった。
「あれ、〇〇さん」
バイト先の青果部で働くパートさんが、きょとんとした顔でこちらを眺める。
「あら〇〇君。どうしたのこんな所で」
「いや、ちょっとバックをなくしちゃいまして……」
「バック?……あ~!あったわよ!!」
言いながらパートさんは腰の辺りをごそごそとまさぐり、
「はい。これ?」
僕のバックを取り出した。
「あ、それです!!ありがとうございますほんと!!」
それを受け取り、僕は頭を下げて、その場を離れた。
(………………)
疑いたくは無かったけれど、どう考えてもおかしい。自分が座ろうとする席にバックが置いてあったとして。そのまま腰掛けるだろうか。少なくとも僕はそれをとってから座るだろう。もしくわ座らないか。もっと親切になると周りに声を掛けたりするのだろうと思う。
(………………)
僕の予想だ。あくまで。〇〇さんはバックを持ち逃げしようとした。たぶんきっと、そのバックが誰のかは知らなかったんだと思う。席に座ろうとしたらバックがあって。何食わぬ顔で腰掛けて。立ち去る際にそれをさも自分のバックかのように持っていく。そういう一連の動作を思い描いていたのではないだろうか。
(………………)
そう考えるとなんだか怖くなった。見知った人がそういう事をすると思うと、なんだか悲しくてたまらなくなった。
足を止める。〇〇さんが居た車両から2、3車両は移動してきた。そういえば電車の中はいつのまにかガランドウとしていて、座席も沢山空いていた。僕は適当な席に腰掛けると、溜め息をついた。なんだか疲れた。これからまだライブがあるのに……。
(…………らいぶ?)
考えて違和感に気付く。ライブがあると、僕は今思考した。けれど一体ぼくは誰のライブに向かっているのだろうか。そもそも僕は何処へ向かっているのだろうか。
出入り口の上に張られている路線図に目をやった。タイミングよくアナウンスが流れ、次の駅の名前が分かる。また知らない駅だった。
(………………)
分からない事だらけだという事に気付く。窓の外を見ると、すっかり暗くなっていた。そしてチラホラと雪が降っている。4月だというのに。桜の花びらにも見えたけれど、それが雪だというのは、なんとなく分かった。
(……………赤坂)
ふと「赤坂」という単語が浮かんだ。路線図をみると、赤坂という駅がある。無意識にその文字を見ていたのだろうか。いや、違う。僕は赤坂に行きたかったんだ。よく分からないけど、確信があった。そして僕はランクヘッドのライブを見に行きたかったんだという事も思い出した。
時計を見ると21時をまわっている。
(………………21時?)
また僕は不安にかられた。何かをやり逃している気がする。何だろう。思い出せない。ランクヘッド……ライブ。
(……!?)
瞬間的に思い出した事は、別の日に行われるランクヘッドのライブチケットの料金振込みの事だった。もう一度時計を見る。けれど時間は変わらず、21時を少し過ぎた時間を示していた。料金振込み期限は、今日の21時まで。
(………………)
一緒にライブに行く友達が、チケットを取れた事を凄く喜んでいた事を思い出した。
(………………)
あとはチケット料金と手数料を振り込むだけで良かった。
(………………)
だけど僕はそれをし忘れてしまった。
(………………)
友達は怒るだろうか。悲しむだろうか。
窓の外。雪がゆっくりと降っている。家々の屋根に薄っすらと積もった雪が見える。
とても静かだった。静か過ぎて、怖かった。
……という夢を見た。夢でよかったとマジで思った。実際にライブのチケットの料金は振り込まなきゃいけなくて。それは今日これから振り込みにいけば全然間に合うアレで。だから凄くホッとした。夢で本当に良かった。
っていうか、夢っておかしいよなぁ……。絶対不自然なのになんで気付かないんだろう。満員電車の中で向かいの窓が見れるわけ無いじゃん。それとパートさん。なんで仕事着のまま電車乗ってんだよ。っていうかどんだけ遠くから通ってんだよ。っつーか赤坂でライブなんてやんねぇよ。それに21時になってたらとっくにライブ終わってんよ普通。
馬鹿な夢を見た。本当疲れた。疲れたし凄いドキドキした。バック失くすわ何処向かってるか分かんないわチケットの料金払い忘れるわ……。よくよく考えたらこの夢良いこと無いやん。最初に席に座ってくだらない優越感味わってただけやん。あ、それか。それの罰か。神様が「この男……なんて小さいんだ!!」ってことで罰を与えたのか、俺に。くそう。やってくれるぜこんちくしょう。
どうでもいいな、ホント(笑)。お金払ってこよ。
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